2012/01/28

マルクトへ行くーWochenmarkt Winterfeldtplatz

ついに数日前、運河に薄氷がはりました。来週からは寒い日が続くようです。

今日は、ベルリンに数多くあるマルクト(Markt=市場)のひとつへ行ってきました。テンペルホーフ=ショーネベルグ(Tempelhof-Schöneberg)という行政区にある"Winterfeldtplatz"というところで、毎週水曜日と土曜日に開催されているマルクトです。

出店数全部で50くらい。食べものを売る店と、衣料品や陶器やその他雑貨を売る店が並んでいます。私が見つけたかぎりでは、その中にパン屋さん6店、チーズ屋さんが5店、ハム/ソーセージ屋さんが4店もありました。さすがドイツです。

野菜はオーガニック(Bio)のお店がいくつか出ていましたが、一番ちいさくて、ひとり寒そうにしているお兄さんのところで購入。

このお店はジャガイモとリンゴの専門店。6種類あった中からMarabelleというジャガイモを選びました。どんな調理法にも合うそう。

マルクトの魚屋さんでは薫製の魚もよく見かけます。一番左はサバの薫製。大好きなオヒョウもありました。


今日のお目当てのひとつは、手頃で、できればドイツ近郊で獲れた魚でした。今日はマスを購入。明日、ホイル焼きにしていただきます!ちなみに二尾で約4ユーロ。

もうひとつ、今日のお目当ては、普段行くお店では扱ってない種類のパン。ゴマやカボチャの種など数種類がまわりにびっしり、生地にはニンジンが練り込んであります。

2012/01/24

21st wkードイツでの初検診を振り返る

どこからか飛んできて
うちのベランダに着地したブタ。

まだ近所に「迷いブタ捜索」のはり紙はなし

はっと気がついたら今日でもう妊娠21週目。前回検診を受けてから早くもひと月経過していました。

前回ははじめてのドイツでの検診。検診に一緒に行くことをずっと楽しみにしていたmr.モッツァレッラは体調が悪く、私ひとりで行くことに。ふたを開けてみると、ドイツ初検診はなかなか笑えるものでした。

道に迷うこともなくクリニックに無事到着。

まず受付で、”Ich bin ***”(私は***です) と名乗ってみる。本当はこの次に「電話で予約を入れた者です」と言いたかったのです。でもこれ以上のことは言えないので「ドイツ語がわからないので英語でいいですか?」と聞くと、対応してくれた人は英語が苦手な様子。しばらく待っていると、電話中だったもうひとりの受付の女性が受話器を置きました。呼ばれたので近寄るやいなや言われた言葉が
”What is your problem?”
うむむ
きっと日本語でいうところの「どうしましたか?」と聞きたかったのだと思うけど、英語でこう言われると、どうしても私には「一体なんだっていうの?」と聞こえてしまう。実は本当にそう言いたかったのだろうか・・・。「ドイツ語できない?一体なんだっていうの?」

時間はかかったけど無事受付を終了、次は順番待ち中のできごとです。

トイレから出てきた人が受付へ行って何か交渉中。どうやら尿検査のカップがないんだけど、と言っている模様です。受付の人が指をさしたのは、入り口付近にある飲料用のお水のカウンターでした。そこには来院者が飲むためのペットボトルが数本あり、使い捨てのコップが重ねてありました。その受付の方、
「そのコップ使ってね。あ、名前はこのペンで書いておいて」
という感じで赤いペンを渡しています。日本ではまず見られないやり取りです。

名前を呼ばれ診察室に。

びっくりしました。壁には曼荼羅、蓮の置物、仏像数点、キャンドルも灯っています。瞑想の部屋と言われても納得できるしつらえの中、袈裟が似合いそうな先生との静かな会話が展開。「では赤ちゃんを見てみましょう」と別室へ。今度はどんな驚きが待っていることだろうと思いきや、エコーは普通のやつでした(はたして仏教的なエコーなどあるのだろうか)。お坊さん(先生)曰く「何も問題なし」。11月24日に日本での最後の検診では57.7cmだったのが、約ひと月後のこの日には15.4cmになっていました。しきりに腕を動かしている姿を見てひと安心。ちなみにこの先生は瞑想の先生でもありました。

最後に助産婦さんとの面談。

母子手帳にあれこれ記入し、今後の診察のスケジュールなどの話を一通りしてくれました。何か質問はあるかというので、運動はもうはじめてもいいのか、そしてしてはいけない運動はあるのかとたずねました。「自分が安全だと思うものは何でもやってください。あ、でもスケートはおすすめしません」との答え。その後数秒おいて、彼女は突然ブルース・リーに変身。そしてくれたアドバイスは、「たあ、たあ!はダメですよ。あのアジアの人がよくやるスポーツ、 何て言うのかしら英語で?」。





以上がドイツでの初検診でした。次回は来週。この間しっかり栄養をもらっているはずだから(この間私はかなり食べ続けているから)、どれだけ大きくなっているかが楽しみです。

2012/01/23

旧暦新年の贈りもの





今日は旧暦の新年。朝起きてメールをチェックすると、姉からのメールがきていました。私宛てに届いていた年賀状の中に差出人が書かれていないものがあるけど、この文章で予想がつくかということで、下の一文を転送してくれました。


「15才で迎えた敗戦の夏の日、工場の周囲にひろがる一面の稲穂の実りに、わき上がる希望を感じた事を思い出します。」


緑に見える部分が「麦畑」
読んですぐに差出人が誰かがわかりました。そしてふと、昨年見たある光景を思い出しました。2011年6月末、岩手県陸前高田市を訪れたときのこと。200年以上にわたって味噌・醤油づくりをしてきた八木澤商店の八木澤さんが、地震の前にお店と工場があった場所へと案内してくれました。そこで見た麦畑です。


地震が発生したあのとき、ちょうど麦の納品作業が行われていたそうです。作業にあたっていた人たちはトラックを置いて高台へ非難。津波によって麦は押し流され、付近一帯に「蒔かれ」、やがて芽を出したというわけです。


津波の爪痕がまだまだ残る中に、青々とした麦。自然の再生力にすっかり感心させられたのを覚えています。


3.11以降、私たち一人ひとりが抱く「希望」はさまざまな要素によって打ち砕かれそうになり、一方で多くの人のおかげで支えられてきた気がします。たとえば原発に関しては、すでに起こってしまった事の大きさや、つい今日もあった政府による電力需要試算隠しなど、負の要素が山積しています。しかし同時に、子どもの笑顔や大切な人びとの存在など、私たちに希望を失わせないものもたくさんあります。そして自然の強さやしなやかさは無言でそれを支えてくれている。そう思わずにはいられません。


何年後かに振り返ってこう言いたいものです。2011〜2012年は日本の転換点だったね、と。日本から離れた場所から日本に対してできることは限られていますが、どこにいてもできることはあります。福島の事故は、原発事故はひとたび起こってしまえばそれは一国だけの問題ではない、ということを私たちに認識させました。


姉が転送してくれた大切な方からの言葉は、旧暦新年の贈りものとなりました。




2012/01/18

before and after

お雑煮に使った大根より育つ葉
日本の大根よりばさばさしてた

12月にドイツに戻ってくるとき、お正月の定番お餅を含め、日本の食材をいくつかもってきました。お餅、納豆、とろろ、あんこ。これらは私がこれまで会った多くの欧米人が苦手とする食べもので、mr.モッツァレッラはどうだろうと思いつつお餅をお雑煮にしてみたら、御多分にもれずダメでした。人が何かを食べる前と後で顔色が変わっているのを久しぶりに見ました。

ふと思い出したのがカナダのユーコン準州でゴーファー(プレーリードッグ)を食べたときのことです。大学で専攻していた文化人類学の授業の一環として、カナダの先住民族を訪ねる旅がありました。そのときに訪れた民族のひとつが、ユーコン準州で暮らすトショーニ民族。ウェルカムパーティーで彼らがふるまってくれたのが、ゴーファーの丸焼きでした。

バットの上に並べられたゴーファーの亡がらたち。私の記憶の中では、お尻から串刺しにされ、目を閉じ、うなだれ、しかし手はかわいらしく胸の前でグーにしてます。それらを一匹ずつ火あぶりにし、焼け焦げた毛をナイフでこそげ落としていきますが、ちょっと深くそぎすぎると内臓が飛び出してくることも。雄大なユーコンの景色の中で嗅いだ、あの毛が焼ける臭いは忘れることができません。その後どのようなプロセスを経たのかは不明ですが(人生には知らなくていいことがある、ということもこの旅で学びました)、夕方パーティー会場へ着き、ドアを開けるやいなや鼻に飛び込んできたのはあの臭い。そして視界に飛び込んできたのはあの姿でした。

できればなかったことにしたい・・・。しかし、私たちには断るすべはありませんでした。なぜなら、ゴーファーはトショーニ民族の大切なおもてなし料理だったからです。目の前にいる友人たちの、食べる前と食べた後ではすっかり変わり果てた顔色が忘れられません。きっと私の顔色もカメレオンのように変化していったはず。

この話をmr.モッツァレッラにして、「あのすごい臭いと味のゴーファーと、ほとんど味のないお餅を比べるのもね・・・」と言うと、まさにその味がないのが問題だとのこと。たしかにドイツ人は味の濃い食べものが好きなので、繊細なだしの味を楽しむお雑煮自体苦手かもしれません。ましてや初めて体験するあの食感。

私のお餅を使ったお気に入りレシピはこれ。フライパンでチーズをのせて焼き、最後にお醤油をじゅっとかける食べ方。たまたま家にあったのがゴートチーズ(ヤギのミルクでできたチーズ)で、なんとも不思議な組み合わせなかんじがしましたが、味には満足。ちなみに日本でゴートチーズというと特別で値段が高いイメージがありますが、ドイツでは他に無数にあるチーズと同じ地位にいます。

あれだけしっかり味がついていればmr.モッツァレッラも大丈夫かもしれないけど、もうお餅というだけでお箸をつけることはないでしょう。でも、いつか私たちが日本でお正月を迎えることがあったら、そのときは食べなくてはいけませんよ。私たちの大切なお正月のおもてなし料理ですからね。


あえてチーズは完全にとろけさせず

2012/01/13

発想の転換

お気に入りの散歩道で久しぶりに見た夕焼け


私は電気がこうこうとついた空間より、少し暗めのほうが好きです。部屋の照明も控えめのほうが快適に感じるし、お風呂に入るときはあえて電気を消してキャンドルを灯すことも。3.11以降の、節電中の日本の駅やその他公共の場所の暗さが、むしろこれくらいがいい、とすら感じていました。でも、ベルリンに戻ってきて以来、あることに気がつきました。昼間に自然光、つまり太陽の光を感じられない日がこうも続くと、正直言って気が滅入る。


朝起きてまず思うこと。あ、今日も暗い・・・
お昼に空を見上げて。まだ、暗い・・・
夕方になり思うこと。あ、もうこんなに暗い・・・


私は日本でも日照時間の短い仙台市出身で、19才までの多くの時間をそこで過ごしました。でも日照時間が短いなんて後から知ったことで、住んでいた当時はそんなことは気にもしていませんでした。さらに秋から春まで雨が降り続ける(というとちょっと大げさですが)カナダ北西海岸に暮らしていたときだって、何の問題もなかったはず。ベルリンの冬はどこが違うというのでしょうか?とにかく、この土地において笑顔で春を迎えるには発想の転換が必要そうです。


そんなことをあれこれと考えている矢先に出会ったのが、ドイツの情報満載の「ニュースダイジェスト」というサイトに掲載されていた『正月なのに:暗いドイツから、暗い日本へ』というタイトルのエッセイ。


作曲家シューベルトの『冬の旅』の中の「三つの太陽」が「暗闇のほうが気分もいいだろう」で結ばれていることに言及し、筆者がはじめてドイツで冬を過ごしたときに気がついたことを紹介しています。それは、「ドイツの冬は本当に暗いから、暗さそのものを逆転の発想で快感の原理にしなければならないという倒錯が起こるのかもしれない」ということ。
***

昨日は友人と再会し、お昼ごはんに韓国料理をいただき、夕方は薄暗くて快適な(!)カフェでゆっくりおしゃべり。さてそろそろ帰ろうか、というときのことです。ふたりとも、だいぶ日が長くなってきたことに気がつきました。「もうこんなに暗い」ではなく、「4時半なのにまだこんなに明るい」。これもある意味、発想の転換です。冬至からもうすぐひと月。毎日確実に日は長くなっているはずです。


今日もやっぱり暗かったので、昼間から大好きな蜜蝋キャンドルに火を灯してみました。昼間のキャンドルもなかなかいいものです。まだまだ「倒錯」の域には達していないけど、残りの暗い日々を楽しみたいと思います。


ちなみに今読んでいる本は、『アラスカ物語』(新田次郎作)。2ヶ月間全く日が照らないという、かの地の暗さの描写がついつい気になってしまいます。

2012/01/07

はじめに : die Einführung

夏の余韻が残るベルリンを去ってから約3ヶ月。この町に戻ってきました。今年は暖冬なのか、全面凍結すると聞いていた家の目の前を流れる運河には、まだ薄氷すら張っていません。


バルコニーから見える変化は、木々たちが裸になっていて遠くまで見渡せること。そして太陽がほとんど姿を隠してしまっていること。私の中で起こった変化は、お腹の中にちいさな人間が育っていること。


2011年7月に、ある縁ではじまったmr. モッツァレッラとのドイツ暮らし。最初の住処となったのはベルリンの、運河の上のフラットです。


目の前の小さな世界、 朝日が昇るのと一緒に見えてくる世界、散歩の途中で遭遇する世界、バスや電車に乗って出かける世界、南の世界、北の世界、地球全体という大きな世界、そしてこれまで目にした世界。このブログでは、日々の暮らしの中で見聞きしたり、ふと頭に浮かんだり、ひょいっと心に飛び込んでくるあれこれをつづっていきます。


2011/12

2011/08