2012/01/13

発想の転換

お気に入りの散歩道で久しぶりに見た夕焼け


私は電気がこうこうとついた空間より、少し暗めのほうが好きです。部屋の照明も控えめのほうが快適に感じるし、お風呂に入るときはあえて電気を消してキャンドルを灯すことも。3.11以降の、節電中の日本の駅やその他公共の場所の暗さが、むしろこれくらいがいい、とすら感じていました。でも、ベルリンに戻ってきて以来、あることに気がつきました。昼間に自然光、つまり太陽の光を感じられない日がこうも続くと、正直言って気が滅入る。


朝起きてまず思うこと。あ、今日も暗い・・・
お昼に空を見上げて。まだ、暗い・・・
夕方になり思うこと。あ、もうこんなに暗い・・・


私は日本でも日照時間の短い仙台市出身で、19才までの多くの時間をそこで過ごしました。でも日照時間が短いなんて後から知ったことで、住んでいた当時はそんなことは気にもしていませんでした。さらに秋から春まで雨が降り続ける(というとちょっと大げさですが)カナダ北西海岸に暮らしていたときだって、何の問題もなかったはず。ベルリンの冬はどこが違うというのでしょうか?とにかく、この土地において笑顔で春を迎えるには発想の転換が必要そうです。


そんなことをあれこれと考えている矢先に出会ったのが、ドイツの情報満載の「ニュースダイジェスト」というサイトに掲載されていた『正月なのに:暗いドイツから、暗い日本へ』というタイトルのエッセイ。


作曲家シューベルトの『冬の旅』の中の「三つの太陽」が「暗闇のほうが気分もいいだろう」で結ばれていることに言及し、筆者がはじめてドイツで冬を過ごしたときに気がついたことを紹介しています。それは、「ドイツの冬は本当に暗いから、暗さそのものを逆転の発想で快感の原理にしなければならないという倒錯が起こるのかもしれない」ということ。
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昨日は友人と再会し、お昼ごはんに韓国料理をいただき、夕方は薄暗くて快適な(!)カフェでゆっくりおしゃべり。さてそろそろ帰ろうか、というときのことです。ふたりとも、だいぶ日が長くなってきたことに気がつきました。「もうこんなに暗い」ではなく、「4時半なのにまだこんなに明るい」。これもある意味、発想の転換です。冬至からもうすぐひと月。毎日確実に日は長くなっているはずです。


今日もやっぱり暗かったので、昼間から大好きな蜜蝋キャンドルに火を灯してみました。昼間のキャンドルもなかなかいいものです。まだまだ「倒錯」の域には達していないけど、残りの暗い日々を楽しみたいと思います。


ちなみに今読んでいる本は、『アラスカ物語』(新田次郎作)。2ヶ月間全く日が照らないという、かの地の暗さの描写がついつい気になってしまいます。