2012/05/21

海はつなげる、海でつながる


葉山の砂浜で出会い、はるばるドイツまでもってきたビーチグラスたち。
それぞれ、もとはどこから来たのだろうか?

3月の末のこと。まだ20%くらしか理解できないドイツのニュース番組を見ていたら、昨年の東日本大震災で青森から津波によって流された船が、カナダ沖合で見つかったというニュースがありました。映し出されたのはカナダ北西海岸からアラスカにかけての地図で、そこには"Haida Gwaii"の表記。このニュースは3つの驚きを私にもたらしてくれました。

ひとつめはもちろん、1年という時間を経て船が見つかったということ。いったいどんな航海だったのでしょうか。

ふたつめは、地名が先住民族の言葉で表記されていたということ。Haida Gwaiiーハイダ・グワイとは、カナダ先住民族ハイダ族の言葉で、「人間の島」の意味。彼らが暮らしている島の名前です。たいていは英名で「クィーン・シャーロット・アイランズ」と呼ばれ、地図上にもその名前で表記されていることが多いかと思います。私は大学の頃から縁あってこの島を数回訪れ、合わせて8ヶ月ほど滞在したことがありますが、私がはじめてこの島を訪れた1997年には、すでにハイダ民族は自然保護、文化再生および創造、政治において非常に活発な活動を展開していました。島の名称を「クィーン・シャーロット・アイランズ」という英語表記から、彼らの言葉での表記に変えるように働きかけてきたのもその活動のひとつ。今回ドイツのニュース番組が地図にHaida Gwaiiと表記したのは、その長年の行動の成果のあらわれです。ちなみに後日、宮城県ナンバーのハーレーが同じくHaida Gwaiiで発見されたというニュースを、父が知らせてくれました。メディアによってHaida Gwaii、クィーン・シャーロット諸島、グラハム島(諸島のひとつ)といろいろだったようです。

3つめは海は世界をつなげている、そして私たちは海でつながっているのだということ。こう書くと当たり前のことですが、あらためて実感させられました。

2012/05/20

ちいさな畑


発芽して数日後のあさつきたち。
1月末にバルコニーに着地して以来、
我が家の住人になったブタが畑の見張り役

早産しかけて以来、重いものをもつこと「絶対」禁止令が出て、さらにmr.モッツァレラが日々厳しい目を光らせているので、毎日かたつむりのスピードで進めてきました。そしてここ数日の太陽の光と、温かい気温のおかげで、ぐいぐい、すくすくと成育中。我が家のバルコニーに、ちいさな畑ができつつあります。

バルコニーでのプランター栽培なので、できることに限りはありますが、ハーブ類はすべてバルコニーから、というのが今年の目標です。うちでよく使うバジル、パセリ、ミント、コリアンダー、タイム、あさつき。すべて順調に育っています。あとは大好きなビートルートとトマト、それからmr.モッツァレラ希望のマンゴールド。日本語では「ふだんそう」というようです。私は炒め物にして食べるのが好きですが、お味噌汁はじめ、スープ類にもよく合います。


2012/05/14

ベビー用品のエコ・テスト

ベルリンの空には飛行機雲が多い。
なぜだろう?


ドイツにはÖKO-TESTという民間の製品エコ・テスト機関があります。歯磨き粉やクリーム類といった日用品から、食べもの、建築、保険、レジャー用品まで、身の回りのありとあらゆるもののテストをして、情報を公開しています。結果は「大変良い(sehr gut)」から「不十分(Ungenügend)」の6段階に分けられていて、製品には特定のラベルが印刷されています。また同機関は、結果を掲載した情報誌を月刊で発行しているほか、たとえば食べものやダイエット関連製品などテーマ毎に特別号も発行しています。そして、私たちが最近よく見ているのが、このベビー用品特集号。  


左の写真はベビー用品特集の中の、おしゃぶりのページ。リスト上の緑が「大変良い」で、赤が「不十分」。製品名、製造メーカー、価格が掲載され、結果は材料をはじめとしていくつかの項目に分けられランク付けされ、一番右の列に総合的な評価が掲載されています。

いろいろな製品の評価を見ていて興味深いと思うのが、値段と評価結果は必ずしも連動していない、ということ。エコロジカルな商品は値段が高い、という印象を抱きがちですが、値段が高いからといって必ずしも評価が高いわけではないようです。中には、カテゴリーの中で最も値段の安い製品が「大変良い」の評価を得ているのに、最も高い製品には赤信号がついているものもあります。

家にあったÖKO-TESTラベル付きの
製品:左がボディローション、右が歯磨き粉。
普通の薬局で購入


2012/05/11

膝だと判明



今日は助産婦さんによる出産講座に出かけてきました。

今日で2回目。前回は、陣痛がはじまってから実際の出産までの一連の流れの話を聞きました。今日は、陣痛の段階に合わせた呼吸の方法や、実際に子どもが産まれた直後の話を聞きました。

出産施設のあるところでは定期的に開催されている出産講座。しかし、私にはまだまだそれをドイツ語で聞く能力はないため、助産婦さんが私とmr.モッツアレラのために英語でプライベート講座を開いてくれています。

3月の末に、予定日より2ヶ月も前に早産しかかったものの、留まってくれたお腹の中のちいさな人間。そのときはまだ体重は2000gもなく、頭は上で、肺の機能も整っていませんでした。今はもう体重が2200gを超えました。頭も下にあって、肺の機能も整い、いつ産まれても大丈夫な状態だそう。今日は助産婦さんが触診で膝、背中、頭の位置を教えてくれました。最近、左の脇腹が突然ぼこっと盛り上がることがあるのですが、それは膝だと判明。だいたいご飯を食べ始めると、ぼこっとなります。

早産しかかったときは、容態が落ち着くまで数日間入院をすることになりました。ドイツの病院ではパンとハムとチーズの冷たい食事が出されると聞いていたのですが、私が入院した病院では、ちゃんと温かい食事が出ました。けっして、おいしい!というものではありませんでしたが・・・

ピーマンのお豆腐詰め 
紫キャベツの煮物がドイツならでは。
左上のあやしげなチョコレートムースと、
カロリー抜群そうなチョコレートケーキには
手をつけず

2012/05/09

葉っぱの開く音と桜並木



いろいろあってブログの更新をしないうちに、早くもひと月以上がたち、
その間にベルリンもすっかり春になりました。まだ朝に冷え込む日はありますが、日も長くなって、とても快適です。バルコニーの目の前の木も伸び盛りで、朝にはまだ閉じていた葉っぱが、午後には完全に開ききっていて、耳をすませば音が聞こえてきそうな勢い。

どこを見ても、新緑と花でいっぱいです。

冬には気がついていませんでしたが、近所にはけっこういろいろな種類の桜の木がありました。特に、4月の最後の週に満開になった近所の運河沿いの桜並木は、1日に何回も出かけたくなるくらい見事でした。


散った花びらで歩道がピンクに
これからは毛虫に注意!
日本では毎年春には皮膚科にお世話になっていました・・・
冬の散歩道
2月3日に撮影したもの



2012/03/18

小春日和


毎日通る運河沿いの道で先日、木が芽吹いていることに気がつきました。
そして、昨日、今日と小春日和です。

朝起きてベランダから外を見ていたら、いたるところで小鳥たちがせわしなく小枝を運んでいました。巣づくりの季節みたいです。

今年はじめて、ベランダでごはんをいただきました。

ディルをたっぷりふった白身魚のソテーに
mr.モッツアレラ特製の
じゃがいもの炒めものをそえて

2012/03/08

間もなく1年

一瞬だけ、選ばれた所に当たった夕焼け
台所の窓から

あれからもうすぐ1年か・・・
と思っていた矢先に父から短いメールが届きました。

いつものように特に前置きもなくはじまる父のメール。件名は「間もなく1年」。


東日本大震災の発生から間もなく1年。あの日に宮城県内で生まれた赤ちゃんは47人だったそうです。

地震、津波と余震。そんな状況での出産。
人間の力ってすごいな、とあらためて思いました。
その赤ちゃんたちも、間もなく1才です。

2012/03/07

助産婦さん選び

外の風の様子を知らせてくれる木々

私のお腹の中にいるちいさな人間。日々活発に動いています。あっという間に妊娠27週目です。そろそろ助産婦さんと、実際に出産をする場所を決めないといけない時期がきました。

ドイツでは、普段検診に行く所と、実際に出産する所は異なります。選択肢は主に3つあって、病院、日本でいう助産院のような所、あとは自宅です。

助産婦さんに関してはふたつの選択肢があります。ひとつめは、一回の出産に複数の助産婦さんが関わるパターン。出産前の検診や質疑応答などは定期検診をする所にいる助産婦さんが行い、出産時に立ち会う助産婦さんは産む場所にその時いる助産婦さんが担当、産後のケアを提供してくれる助産婦さんは別に選ぶ。選ぶにあたってのポイントはいくつかあって、そのひとつが助産婦さんに何を求めるか。ある人はホメオパシーが得意、ある人は母乳指導が得意など、それぞれ得意分野があります。それから産後のケアは家に来てもらうので、その助産婦さんが出張範囲としている地域もポイントになります。あとは私のようにドイツ語に問題がある人は、その助産婦さんはどんな言語が扱えるかも重要。もうひとつの選択肢は、妊娠中から出産後まで同じ助産婦さんにすることです。

ある友人は産後ケアをお願いするために選んだ助産婦さんが気に入ったので、その助産婦さんが登録している病院で生むことを決めたそう。そのメリットは、病院に着いてから生まれるまで同じ助産婦さんがずっとついていてくれること。他の友人は、病院に着いてから、実際に産まれるまでの7時間に助産婦さんがシフトの関係で入れ替わり、立ち代わり。陣痛で苦しむ中いろんな人に自己紹介をされたな、という記憶があるそうです。  

私は検診を受けているお医者さんから勧められた助産院に登録している助産婦さんに、今後の助産婦さんによる定期検診から、出産の立ち会い、産後のケアまでお願いすることにしました。イギリスで鍼灸を学んでいたという方で、英語でコミュニケ—ションが取れるのも大きな理由です。隔月で行う、エコーをとるお医者さんによる検診は、これまで通っていた所で、同じお医者さんの元で行います。

ちなみに妊娠中、出産、出産後まで同じ助産婦さんにするということは、自分の出産予定日付近には、その助産婦さんはいつでもかけつけられるような態勢でいる、ということ。そのための費用は350ユーロで、一部は保険でまかなわれます。私が現在申請している保険会社の場合は、350ユーロのうち250ユーロがまかなわれるそうです。

ドイツに来てから実感するのは、妊婦手当、育児手当、パートナーの育児休暇手当、出産にかかわる費用はほぼすべて保険でまかなわれる点などいろいろ考慮すると、出産・育児の環境が日本よりずっと整っているのでは、ということ。でも、ドイツの出生率は決して高くありません。日本と同じく少子化が進んでいて、WHO(世界保険機構)の統計によると、出生率(女性が生涯に産む子どもの数の推計値)は日本もドイツもほぼ同じで、1.3。原因が気になります。

2012/03/03

ミュンヘンへ小旅行

ミュンヘンへ向かう車窓からの一枚
ミュンヘンへ3泊4日の小旅行。目的は出産予定まであと1ヶ月の友人夫婦を訪ねることです。

ミュンヘンはドイツの中でも大きな都市のひとつですが、車で1時間でも出かけると山あり、湖ありで自然が広がっています。ベルリンにも湖がありますが、大きく違うのは景観の中に山があること。低い丘でもいいので景観に何か凹凸が欲しい私にはなかなか魅力的。でも、都市としてはベルリンの方がずっと肌に合います。

さて、家でサッカー観戦を希望する男性陣を説き伏せて、Schlierseeという名前の湖に出かけ、そばにある低い山に登ってきました。湖を眺めながら、牧場の中に通るトレッキングコースを歩くこと約1時間半で頂上に到着。頂上にはお城の跡がありました。どこの国でも権力者は、労働者が悲鳴を上げたくなる場所に何かを建てたがるものですね。晴天で、長袖のシャツの上にフリース一枚でちょうどいい快適な陽気。いたるところに雪が残っていて、色のコントラストがとってもきれいでした。

帰りに新鮮な牛乳を手に入れて、チーズをつくろう、ということになりました。
私は温度を見ながら牛乳をまぜる係りになったため、写真を撮っている余裕がなく途中の写真がありませんが、できあがりがこれ。自家製フェタチーズです。


トレッキングの翌日は今年初のバーベキューで
自家製フェタのホイル焼き
にんにく、ローズマリー、オリーブ、チリを少々
毎日食べたくなるくらいのおいしさ!
ところで今回チーズをつくるにあたって、牛乳について少しだけ詳しくなりました。ホモジナイズド牛乳と、ノンホモジナイズド牛乳についてです。この言葉、耳にしたことがありますが、その実体についてはよくわかっていませんでした。簡単に説明するとこういうことだそうです。

絞ったばかりの牛乳を置いておくと丈夫に脂肪球と呼ばれるクリーム層ができる。脂肪分が分離しないようにこの脂肪球をこなごなに壊し、成分を均一にすることを「ホモジナイズする」という。つまりこの行程を経た牛乳は「ホモジナイズド牛乳」。この行程を経ていない牛乳は「ノンホモジナイズド牛乳」です。

消化吸収などの観点からすると、ホモジナイズド牛乳の方が脂肪球が細かくなっているので、消化吸収が早くなる。その反面、脂肪の膜で保護されていたタンパク質などが急速に体内に取り込まれるため、お腹を壊したり、アレルギーの原因になることも。一方ノンホモジナイズド牛乳は、胃液や消化酵素の働きでゆっくり消化吸収される。乳糖などの栄養素が脂肪球の中におさまっているので、お腹を壊さない場合が多い。そういえば小学校の頃、給食の牛乳が飲むとお腹が痛くなる、というクラスメートがいました。

市場の観点からすると、ホモジナイズド牛乳の方が市場効率がいい。なぜなら、ホモジナイズを行うと、工場での高温殺菌などの熱処理が円滑に進み、扱いやすくなり、生産効率が上がるので大量生産ができるから。日本でも、どうやらドイツでも現在一般的に市場に流通しているのは、ホモジナイズド牛乳です。

今回手に入れたのはノンホモジナイズド牛乳。翌朝友人が絶賛していたので、コーヒーに少し入れてみました。普段は牛乳が入っているコーヒーは好きじゃない私でも「おいしい!」と思いました。

さらに今回私たちが買った牛乳をつくりだしてくれた牛は、冬の間、刈り取った後に乾燥させて大きなビニールにくるんで保存している飼料を食べているそう。日本でも、牧場でビニールにくるまれた大きな丸い固まりが転がっているのをを見たことがあります。この飼料を食べている牛から絞る牛乳は、特定のチーズをつくるには発酵がうまくいかない場合がある、とか。つまり、その牛が何を食べているかによっては、作れないチーズがあるということでした。チーズ文化が、酪農のあり方と密接な関係があることがうかがえます。

発酵食品は本当に奥が深いです。



2012/02/28

Berlin Miso



すでにすっかり遅くなってしまった味噌づくり。3月はじめに数日間ミュンヘンへ出かける予定になっているので、その前には!ということでついにお味噌を仕込みました。

これまでの味噌づくりと違うのは、まずは材料です。
麹は生麹ではなく、日本からもってきた乾燥麹。塩と大豆は近所のオーガニックショップで購入。塩は海塩ではなくヒマラヤの岩塩、大豆は日本の国産大豆ではなく中国産の大豆を使用しました。フードマイレージの高いお味噌になってしまいました。来年は材料をもっと厳選したいものです。

あるお味噌屋さんのサイトに「味噌屋が教える失敗しない手作りみその作り方」という情報があったので参考に読んでみると、味噌づくりで一番大切なのは豆の炊き具合だそう。食べてもおいしい大豆であることが手づくり味噌の材料として良い大豆、ということだったので、つまみ食い(お料理の醍醐味)。
・・・合格でした。

塩きり麹につぶした大豆を混ぜて、混ぜて、混ぜて。これも新しい試み、琺瑯の容器につめて完了です。あとの仕事は微生物たちに託します。

そういえばこれまでと違うことといえば、何よりも日本とは気候が違います。
さて、どうなることやら!

偶然にもかけていたエプロンに
味噌瓶の図柄を発見

2012/02/19

つかみどころがないという魅力



12月にベルリンに戻ってくるとき、乾燥麹をもってきました。2月ももう後半。そろそろお味噌を仕込まないと。

ベルリンで最初の味噌づくり。麹はあるし、大豆も手に入る、しかし容器の問題がありました。日本で定番のあの茶色い瓶のようなものを探しましたが見つからず。いろいろ調べて、ベルリンで手に入るもので最適なのは琺瑯素材だということに。インターネットで見つけたLIVという琺瑯製品専門のお店に出かけてきました。びっくりするくらいかわいいお味噌入れを手に入れましたよ。微生物たちがせかせか(それともゆるゆる?)働いて完成させてくれる発酵食品はつかみどころがなくて、そこが魅力的です。ベルリンの気候では、どんなお味噌が完成するでしょうか。



ベルリンは12の区(Bezirk)に分けられていますが、琺瑯屋さんがあるのはパンコー区(Bezirk Pankow)の、プランツラウアー・ベルグというエリア。家からはバスと電車に乗って45分くらいの距離です。

大都市ベルリン。エリアによってさまざまな表情を見せてくれます。駅の外に出てまず気がついたのが、落書きがほとんどないこと。我が家の近所は芸術的なものから、あちゃーというものまで、多種多様な落書きがあります。カフェやお店の外観は町の雰囲気をつくりだしますが、駅の周辺にはDEAN & DELUCAのような清楚な感じの食材屋さんやカフェがありました。我が家の近所にあるカフェはもう少し庶民的というか、まったりしているというか。また、近所でも北側に行くと、そこはトルコをはじめとするアラビア文化圏からの移民がとても多いエリアで、彼らの服装、とびかう言語、お店の看板や外観などが独特の雰囲気をつくり出しています。

「ベルリンらしさって何?」と聞かれたら、その答えはいったいなんでしょうか。ベルリンは本当に大きな町で、私はそのほんの一部しか知りませんが、それでも歩けば歩くほど、知れば知るほど、その答えがわからなくなります。この町は、だからこそ魅力的なのかもしれません。

2012/02/15

運河が融けはじめました

花ってどうしてこうも静かに、
しかしドラマチックに散っていくのだろうか

もう過去何十年間も日々裏切られ続けているのに、いまだに信頼を寄せてしまう天気予報。昨晩は夢にまで登場しました。

だれにむかって言っていたのかは思い出せませんが、「天気予報によると明日の気温16.5℃だって!」と興奮する私。汗だくで目が覚めました。

朝運河をながめると、氷が融けはじめていました。

氷河が融けるときみたいな音が聞こえるのかな、グラスに入れた氷にウイスキーを注いだときのような音がするのかな、と楽しみにしていましたが、静かにゆるりと融けていくようです。

今日の運河
2月3日の朝の運河
合っているのかとても怪しい我が家の温度計で
ひさしぶりに見た気温0℃以上




2012/02/13

運河の上を歩く


南の国の、ある小さな島のお話。
島の中央には道が1本あって、
毎日、何人もの人がその道を通る。
道の両脇には椰子の木が茂っていて、
毎日、たくさんの実を落とす。 
ある朝、道を歩いていた男の頭をココナッツの実が直撃。
消えゆく意識の中、男はこう自分に問うた。
why me? ーなぜ私がこんな目に
そして男は息絶えた。

毎日たくさんの人が同じ道を通り、毎日たくさんのココナッツが落下するのに、なぜこの男にだけココナッツは直撃したのか。そのことについて考えるのが、君たちが今から学ぼうとしている文化人類学です。と、大学の授業で聞いた気がします。(たぶん勝手な解釈+記憶違いあり)

さて、連日寒い日が続くベルリン。ニュースでは「欧州大寒波」、「ドナウ川凍結」といった言葉を目にします。そしてついに、先日運河が完全に凍結しました。

スケートやそり遊びにいそしむ人びと、自転車で走っていく人、買い物袋を下げて歩く人、ベビーカーを押して歩いている人、スケートで駆け抜けていく人、急ぎ足で歩いて行く人。我が家のバルコニーからは、さまざまな人の往来をながめることができます。この運河は現在は夏に観光客を乗せた船が通るのみですが、凍結してその上を移動できるようになった今、本来の輸送ルートとしての運河の役割を果たしています。

運河を通って食糧品の買い出しに出かける人や、
自転車を輸送する人も
ある平日の昼。あいかわらず気温は0℃以下だけど、天気がいいのでお散歩へ。近所に運河が二手に別れるところがあるのですが、そこは今や車の心配をすることなく遊べる開けた空間となっています。太陽の光の元で、たくさんの人が運河の上に降りて歩き回ったり、スケートをしたりしていました。運河に降りるルートを探しながら歩き続けると、やっと階段を見つけたので降りてみました。

しかし、いざ降りてあたりを見回すと、だれもいません。しかも、太陽はどこへ?さっき通った場所にはあんなに人がいたのに、あんなに太陽が輝いていたのに。不安になったので、人びとがいた方へ移動することにしました。歩きながらふと浮かんだ物語が冒頭の男の話。もし落ちたら、消え行く意識の中で"why me?"と自分に問うたことでしょう。

週末、朝起きて運河をながめると、人、人、人。普段と比べるとアメ横なみの混み具合です。
妊婦じゃなかったら、
この子たちと一緒に背中すべりに
いそしんだことだろう
昨年の夏の夕暮れ時に
上の写真に写っている橋の上から撮った写真

今日は友人を近所の駅に送った後に、運河沿いをぶらぶら。道中、「ある理由」で帰路を急ぎたくなりました。しかし、運河を渡らなければ家には帰れず、橋がないと運河は渡れず、自分がいた地点はどの橋へも同様に遠く・・・。ひょいとあるアイディアが浮かびました。今だけ使える近道です。いやあ、便利、便利。でも、やっぱり早く暖かくなってほしい・・・。

運河の氷がいつ融けはじめるのかわかりませんが、融けるときの音を聞くのが楽しみです。そしてその音は自分の足元ではなく、バルコニーの上から、それもココアを片手に聞きたいものです。足場を失いながら、"Why me?"とならないためにも。

凍った運河の上でも
ビールを飲んでいる人がちらほら。
mr.
モッツァレラもそのひとりでした。
ああ、自分はドイツにいるんだな・・・と思った瞬間!

2012/01/29

2012/01/28

マルクトへ行くーWochenmarkt Winterfeldtplatz

ついに数日前、運河に薄氷がはりました。来週からは寒い日が続くようです。

今日は、ベルリンに数多くあるマルクト(Markt=市場)のひとつへ行ってきました。テンペルホーフ=ショーネベルグ(Tempelhof-Schöneberg)という行政区にある"Winterfeldtplatz"というところで、毎週水曜日と土曜日に開催されているマルクトです。

出店数全部で50くらい。食べものを売る店と、衣料品や陶器やその他雑貨を売る店が並んでいます。私が見つけたかぎりでは、その中にパン屋さん6店、チーズ屋さんが5店、ハム/ソーセージ屋さんが4店もありました。さすがドイツです。

野菜はオーガニック(Bio)のお店がいくつか出ていましたが、一番ちいさくて、ひとり寒そうにしているお兄さんのところで購入。

このお店はジャガイモとリンゴの専門店。6種類あった中からMarabelleというジャガイモを選びました。どんな調理法にも合うそう。

マルクトの魚屋さんでは薫製の魚もよく見かけます。一番左はサバの薫製。大好きなオヒョウもありました。


今日のお目当てのひとつは、手頃で、できればドイツ近郊で獲れた魚でした。今日はマスを購入。明日、ホイル焼きにしていただきます!ちなみに二尾で約4ユーロ。

もうひとつ、今日のお目当ては、普段行くお店では扱ってない種類のパン。ゴマやカボチャの種など数種類がまわりにびっしり、生地にはニンジンが練り込んであります。

2012/01/24

21st wkードイツでの初検診を振り返る

どこからか飛んできて
うちのベランダに着地したブタ。

まだ近所に「迷いブタ捜索」のはり紙はなし

はっと気がついたら今日でもう妊娠21週目。前回検診を受けてから早くもひと月経過していました。

前回ははじめてのドイツでの検診。検診に一緒に行くことをずっと楽しみにしていたmr.モッツァレッラは体調が悪く、私ひとりで行くことに。ふたを開けてみると、ドイツ初検診はなかなか笑えるものでした。

道に迷うこともなくクリニックに無事到着。

まず受付で、”Ich bin ***”(私は***です) と名乗ってみる。本当はこの次に「電話で予約を入れた者です」と言いたかったのです。でもこれ以上のことは言えないので「ドイツ語がわからないので英語でいいですか?」と聞くと、対応してくれた人は英語が苦手な様子。しばらく待っていると、電話中だったもうひとりの受付の女性が受話器を置きました。呼ばれたので近寄るやいなや言われた言葉が
”What is your problem?”
うむむ
きっと日本語でいうところの「どうしましたか?」と聞きたかったのだと思うけど、英語でこう言われると、どうしても私には「一体なんだっていうの?」と聞こえてしまう。実は本当にそう言いたかったのだろうか・・・。「ドイツ語できない?一体なんだっていうの?」

時間はかかったけど無事受付を終了、次は順番待ち中のできごとです。

トイレから出てきた人が受付へ行って何か交渉中。どうやら尿検査のカップがないんだけど、と言っている模様です。受付の人が指をさしたのは、入り口付近にある飲料用のお水のカウンターでした。そこには来院者が飲むためのペットボトルが数本あり、使い捨てのコップが重ねてありました。その受付の方、
「そのコップ使ってね。あ、名前はこのペンで書いておいて」
という感じで赤いペンを渡しています。日本ではまず見られないやり取りです。

名前を呼ばれ診察室に。

びっくりしました。壁には曼荼羅、蓮の置物、仏像数点、キャンドルも灯っています。瞑想の部屋と言われても納得できるしつらえの中、袈裟が似合いそうな先生との静かな会話が展開。「では赤ちゃんを見てみましょう」と別室へ。今度はどんな驚きが待っていることだろうと思いきや、エコーは普通のやつでした(はたして仏教的なエコーなどあるのだろうか)。お坊さん(先生)曰く「何も問題なし」。11月24日に日本での最後の検診では57.7cmだったのが、約ひと月後のこの日には15.4cmになっていました。しきりに腕を動かしている姿を見てひと安心。ちなみにこの先生は瞑想の先生でもありました。

最後に助産婦さんとの面談。

母子手帳にあれこれ記入し、今後の診察のスケジュールなどの話を一通りしてくれました。何か質問はあるかというので、運動はもうはじめてもいいのか、そしてしてはいけない運動はあるのかとたずねました。「自分が安全だと思うものは何でもやってください。あ、でもスケートはおすすめしません」との答え。その後数秒おいて、彼女は突然ブルース・リーに変身。そしてくれたアドバイスは、「たあ、たあ!はダメですよ。あのアジアの人がよくやるスポーツ、 何て言うのかしら英語で?」。





以上がドイツでの初検診でした。次回は来週。この間しっかり栄養をもらっているはずだから(この間私はかなり食べ続けているから)、どれだけ大きくなっているかが楽しみです。

2012/01/23

旧暦新年の贈りもの





今日は旧暦の新年。朝起きてメールをチェックすると、姉からのメールがきていました。私宛てに届いていた年賀状の中に差出人が書かれていないものがあるけど、この文章で予想がつくかということで、下の一文を転送してくれました。


「15才で迎えた敗戦の夏の日、工場の周囲にひろがる一面の稲穂の実りに、わき上がる希望を感じた事を思い出します。」


緑に見える部分が「麦畑」
読んですぐに差出人が誰かがわかりました。そしてふと、昨年見たある光景を思い出しました。2011年6月末、岩手県陸前高田市を訪れたときのこと。200年以上にわたって味噌・醤油づくりをしてきた八木澤商店の八木澤さんが、地震の前にお店と工場があった場所へと案内してくれました。そこで見た麦畑です。


地震が発生したあのとき、ちょうど麦の納品作業が行われていたそうです。作業にあたっていた人たちはトラックを置いて高台へ非難。津波によって麦は押し流され、付近一帯に「蒔かれ」、やがて芽を出したというわけです。


津波の爪痕がまだまだ残る中に、青々とした麦。自然の再生力にすっかり感心させられたのを覚えています。


3.11以降、私たち一人ひとりが抱く「希望」はさまざまな要素によって打ち砕かれそうになり、一方で多くの人のおかげで支えられてきた気がします。たとえば原発に関しては、すでに起こってしまった事の大きさや、つい今日もあった政府による電力需要試算隠しなど、負の要素が山積しています。しかし同時に、子どもの笑顔や大切な人びとの存在など、私たちに希望を失わせないものもたくさんあります。そして自然の強さやしなやかさは無言でそれを支えてくれている。そう思わずにはいられません。


何年後かに振り返ってこう言いたいものです。2011〜2012年は日本の転換点だったね、と。日本から離れた場所から日本に対してできることは限られていますが、どこにいてもできることはあります。福島の事故は、原発事故はひとたび起こってしまえばそれは一国だけの問題ではない、ということを私たちに認識させました。


姉が転送してくれた大切な方からの言葉は、旧暦新年の贈りものとなりました。




2012/01/18

before and after

お雑煮に使った大根より育つ葉
日本の大根よりばさばさしてた

12月にドイツに戻ってくるとき、お正月の定番お餅を含め、日本の食材をいくつかもってきました。お餅、納豆、とろろ、あんこ。これらは私がこれまで会った多くの欧米人が苦手とする食べもので、mr.モッツァレッラはどうだろうと思いつつお餅をお雑煮にしてみたら、御多分にもれずダメでした。人が何かを食べる前と後で顔色が変わっているのを久しぶりに見ました。

ふと思い出したのがカナダのユーコン準州でゴーファー(プレーリードッグ)を食べたときのことです。大学で専攻していた文化人類学の授業の一環として、カナダの先住民族を訪ねる旅がありました。そのときに訪れた民族のひとつが、ユーコン準州で暮らすトショーニ民族。ウェルカムパーティーで彼らがふるまってくれたのが、ゴーファーの丸焼きでした。

バットの上に並べられたゴーファーの亡がらたち。私の記憶の中では、お尻から串刺しにされ、目を閉じ、うなだれ、しかし手はかわいらしく胸の前でグーにしてます。それらを一匹ずつ火あぶりにし、焼け焦げた毛をナイフでこそげ落としていきますが、ちょっと深くそぎすぎると内臓が飛び出してくることも。雄大なユーコンの景色の中で嗅いだ、あの毛が焼ける臭いは忘れることができません。その後どのようなプロセスを経たのかは不明ですが(人生には知らなくていいことがある、ということもこの旅で学びました)、夕方パーティー会場へ着き、ドアを開けるやいなや鼻に飛び込んできたのはあの臭い。そして視界に飛び込んできたのはあの姿でした。

できればなかったことにしたい・・・。しかし、私たちには断るすべはありませんでした。なぜなら、ゴーファーはトショーニ民族の大切なおもてなし料理だったからです。目の前にいる友人たちの、食べる前と食べた後ではすっかり変わり果てた顔色が忘れられません。きっと私の顔色もカメレオンのように変化していったはず。

この話をmr.モッツァレッラにして、「あのすごい臭いと味のゴーファーと、ほとんど味のないお餅を比べるのもね・・・」と言うと、まさにその味がないのが問題だとのこと。たしかにドイツ人は味の濃い食べものが好きなので、繊細なだしの味を楽しむお雑煮自体苦手かもしれません。ましてや初めて体験するあの食感。

私のお餅を使ったお気に入りレシピはこれ。フライパンでチーズをのせて焼き、最後にお醤油をじゅっとかける食べ方。たまたま家にあったのがゴートチーズ(ヤギのミルクでできたチーズ)で、なんとも不思議な組み合わせなかんじがしましたが、味には満足。ちなみに日本でゴートチーズというと特別で値段が高いイメージがありますが、ドイツでは他に無数にあるチーズと同じ地位にいます。

あれだけしっかり味がついていればmr.モッツァレッラも大丈夫かもしれないけど、もうお餅というだけでお箸をつけることはないでしょう。でも、いつか私たちが日本でお正月を迎えることがあったら、そのときは食べなくてはいけませんよ。私たちの大切なお正月のおもてなし料理ですからね。


あえてチーズは完全にとろけさせず