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2017/02/15

ペンギン歩き


凍った運河の上を夜のお散歩

先週の日曜日、ついに運河の上を歩くことができました。ここしばらく家の前の運河はずっと凍ってたものの、所々薄いところがあったり、穴があいていて水が見えていたりという感じだったのですが、ここ数日夜の冷えがきつかったおかげで完全に凍ったようです。ただ、何度も凍ったり融けたりを繰り返したためか表面はいたるところ凹凸があるうえ、とても滑りやすかったです。エマは私とmr. モッツアレラに手を引いてもらっているのでたまに両足をそろえてすーっと滑って楽しんでいましたが、私たちは転ばないようにひたすらペンギン歩きでした。

翌朝月曜日は朝日の中でスケートをしている人をみかけました。天然のスケートリンクを独り占めです。mr.モッツアレラはサメのコスチュームを着てスケートをしている人を見たとか。今日保育園にエマを迎えにいったときにその話をアイルランド出身の友だちにしたところ、「歩いていいですよ」っていうお知らせが来るのか?と聞かれました。ここはベルリン、そんなものはありません!ちなみに今日保育園の帰りに運河沿いの道を歩いていたら、警察官がふたりパトロールをしていて、運河の上を歩いている人に土手に上がるように警告をしていました。でもその後に通りかかったらたくさんの人が歩いていました。



運河が凍ると物を投げる人がいて驚きます。どれくらい凍っているか見たいのか、それともお水に落とすときとは違って沈まないのがおもしろいのか、理由は分かりません。でも、今年は薄氷から始まって凍っている期間が長かったので、お正月の花火の残り、クリスマスツリー、ビール瓶などが散乱していて、けっ こう悲しい状態になっている場所もありました。氷が融ければそれは全部水の中に落ちていってしまうわけです。私たちが運河を歩いたその日はだれかが(日曜日なので、一般市民のはず)落ちているものを拾って、土手の上によけてくれたようです。    

凍った運河の上を歩いたのは2012年以来だったのですが、調べてみたら、ちょうど5年前の2月13日の投稿にありました。あの年は今年よりもずっと寒かったのを覚えています。しっかり分厚く張った氷に上には雪が積もっていて、普通の道を歩くようにお散歩を楽しめました。

2017/02/07

終った〜!

髪の毛は古いデッキブラシ、
口は自転車のライト

昨日、1月中旬に始まった校正プロジェクトがついに終わりました。

プロジェクト開始から終了までのこの3週間たくさんのことがありました。雪が降ったり、びっくりするほど晴れたり。エマがキタから風邪をもらってきて、mr.モッツアレラがそれをもらい、数日後私も見事にいただきました。先週はお腹の調子がどうも悪くて火曜日からキタはずっとお休み。はっと気がついたら1月が終わっていて、節分も過ぎ、エマの語彙はまた増え、ご近所さんが亡くなってしまい、オバマ政権がトランプ政権に変わり、友だちがお誕生日を迎え・・・。つい最近年が明けたばかりと思っていたのにもう今は2月の第2週です。

今回の案件は、アメリカがオバマ政権の間に行ってきた地球温暖化対策のまとめと、パリ協定を念頭に今後歩むべき道について書かれたレポートでした。その校正作業をしている間にアメリカの政権が変わりました。トランプ大統領は就任直後に、これまでオバマ政権が行ってきた「気候行動計画」を撤廃し、化石燃料の使用を増やすと表明。翻訳文と元の英語で書かれた文章を見比べながら、何度ため息をついたことか。

今日の午前は前半は家でゆっくりコーヒーを飲み、後半はコルヴィッツプラッツ(Kollwitzplatz)というところにあるLPGというオーガニックのお店でお買い物。LPGはベルリン中に9つの支店をもつオーガニック食品や雑貨類のお店なのですが、コルヴィッツプラッツのLPGのコスメティックコーナーには、ドイツで手に入るオーガニック化粧品類が勢揃いしています。今日は愛用しているドクターハウシュカ(Dr. Hauschka)の製品をいくつか購入。会員価格で買えるので少しだけお得です。その後はキタにエマをお迎えにいかないといけなかったので、せっかくいつもとは違うエリアに出かけたものの、カフェに立ち寄ることもなく帰ってきました。明日はこの間誕生日を迎えた友だちとお茶をした後にランチです。彼女とは子ども連れで会うことが多いので、いつもは楽しいけどせわしないのですが、明日はゆっくりした時間を楽しもうと思います。

最後に、ページ上の写真は先日運河沿いの道をお散歩していたら出逢った雪だるまです。民芸品のような、何とも味のある子でした。私が興奮しながら見ているとエマがにた〜と笑って「カプート?」と一言。カプト(kaputt)とはドイツで「壊れる」の意味。私なりに翻訳すると、「エマ、壊していい?」ということだと思います。砂場で山やトンネルをつくっても、積み木やLegoで遊んでいても、壊すことに最大の喜びを感じる子どもたち。エマも例外ではないようです。

なんだか数週間分の日記を一気に書いたようなブログ記事になってしまいました。

今年の抱負のひとつは早寝なので、もう寝よう。


2016/12/08

いつもと様子が違うと思ったら




火曜日の朝エマをキタに送った後にいつものオーガニックスーパーへお買い物に行きました。だいたいいつもお決まりのものをかごに入れ、朝はたいていレジにいる店員さんに会計をしてもらい、いつもの挨拶をかわし、いつもの道を通って家へと歩き始めましたが、いつもとなんだか様子が違う。

いたるところに警察官がいっぱい。さっきは警察官を乗せたワゴン車が停まっているのが遠くに見えたし、向こうからまたもう一台走ってくる。ベルリンはよく映画やドラマの撮影が行われているので、偽警官が道ばたにうろうろしていることがあるのですが、その場合は撮影クルーもまわりにいるので分かります。今回は本物で、それも驚くほどたくさん。何だろう?と思いつつ歩き続けると、途中で道路が閉鎖されかけていて、あわてて迂回して帰宅しました。 

夕方お散歩に出て、道ばたでおばあちゃんたちが立ち話しているのが耳に入り、第二次世界大戦中に投下された不発弾の撤去作業だったことを知りました。撤去作業にさきだって避難区域内の2,500人が避難し、区域内にあるお店や学校・幼稚園はお休みだったとか。我が家は避難区域にかろうじて入らなかったので、近所でどんなことが起こっているかもしらず、いつもと変わらない一日を送っていました。

爆弾が見つかったのは、の工事現場。その東西ベルリンを分けていた壁の跡が走っているのですが、そのすぐそばにあったアパートがこの夏取り壊されました。その後、新しいアパートを建てるべく巨大な穴を掘る作業をしていました。実はつい先日、mr.モッツアレラと工事現場を見ながら「このアパート地下の倉庫がなかったんだね」なんて話してたところでした。もし元にあったアパートに地下倉庫があったら、その建設作業の段階で爆弾は見つかっていたはずです。考えるだけで恐ろしいですが、前のアパートの住民は爆弾の上で暮らしていたんですね。ベルリーナー・モルゲンポスト紙によるとベルリンには推定3000個の爆弾が残っているそう。このリンクから動画を見ることもできます→Berliner Morgenpost

今私がのほほんと暮らしているこの辺りにも、約70年前には爆弾が落とされていたという事実を知り、平和の尊さをあらためて感じました。

2016/10/17

言語の使い分け

ベルリンの児童公園はそれぞれに雰囲気があってとても楽しい。
写真はKollwitzplatzの小さいほうの遊び場。



「 エマ auch 食べる イチゴジャム」
これは、ある朝食のテーブルでのエマの発言。みごとなちゃんぽんに私はコーヒーを吹き出しそうになりました。ちなみに、"auch"はドイツ語で「〜も」の意味です。

エマは通常私には日本語で、mr.モッツアレラにはドイツ語で話しかけられますが、私とmr. モッツアレラが英語で話すため、英語も理解します。最近までは、ひとつのセンテンスに日本語、ドイツ語、英語を巧みにちゃんぽんしていましたが、最近は言語を使い分けるようになってきました。私に日本語で何か言ってきて、私が「それならお父ちゃんに話してきたらいいよ」というと、 "papa---! Kann ich....?"と、完璧なセンテンスではないものの、ドイツ語にぱっと切り替わるようになりました。特にキタが始まってから、ドイツ語の語彙がびっくりするほど増えました。

昨日の夕方、友人が遊びにきたので近所のカフェにでもお茶しにいこうと思ってmr. モッツアレラと話していたら、もちろんエマが「エマも行く〜」。正直いってひとりで行きたかった私はme.モッツアレラと相談を開始。そこに涙をたっぷり目にためたエマが登場し、一言。
「エマもいく。じゃましないから、ね(とここで涙がぽろぽろ)」
ひっくりかえりそうになりました。「じゃましないから、ね」って・・・どこで覚えたんだろう??

子どもの言語吸収能力には本当に、本当に驚かされます。

2016/08/11

親は子に育てられる

友だちがくれた地球儀ボール。
まずエマが南太平洋を少しかじり、
その後うちに来たベビーたちによって南太平洋の多くがかじられ、
その後オーストラリアが・・・。
私の好きなバイロンベイ〜ニンビンあたりは残った。

「なに、ママ?」
 これは、現在2歳4ヶ月のエマが、毎日たぶん100回くらい私に投げかける疑問文です。シチュエーションはたいてい、私が道ばたで誰かと会話をした直後だったり、独り言をつぶやいたときだったりするときなのですが、たまに何も言っていないのに突然「なに、ママ?」と訊かれることがあって、そんなときには本当に答えに困ります。

ほんの2、3ヶ月前までは、エマをバギーに乗せて買い物へ行く途中とか、友だちに会いに行く途中とかのいわゆる道中は、静かにあれこれ頭の中を整理したりするいわば瞑想的な時間でした。今は、「なに、ママ?」のほかにも、目に入ってくるもので気になるものを次から次へと指さして「これ?」の連続なので、瞑想どころじゃありません。たまに、もう勘弁してー!と思うこともあるけど、きっと来年あたりに始まる「なんで?」に比べれば、「なに、ママ?」なんておちゃのこさいさいなんだろうな。

午後のお昼寝を突然ぱったりしなくなったり、昨日までもぐもぐ食べていたものを全く食べなくなったり。また、昨日できなかったことが今日はできるようになったり、今朝はうまく発音できなかった言葉が午後にはきれいに発音できてたり。子どもたちは文字通り、日々刻々と変化、成長します。エマが生まれてから、私は適応能力がかなり鍛えられた気がします。また最近は「なに、ママ?」、「これ?」のおかげで、頭の回転が早くなってきた気がします。そして、分からないときは正直に「分からない」と言うということも学習しました 笑。

こうやって、親は子に育てられていくんだろうな、と実感する日々です。

2016/08/01

いろんな時間

 
久しぶりにHackescher Marktの界隈を歩いてみたら、
MUJIの隣にUNIQLOができていた。 


7月の終わりに、久しぶりに友だちと夕ご飯を食べに行きました。夜に出かけるのは、久しぶりに「超」が付いてもいいくらいの久しぶり。

エマと一緒じゃない夕食。それも待ち合わせはタイ料理屋さん。何にしようかな、今日は何か辛いものでも食べよう、と思いつつも、決められないー。というのもたぶん、ここ1年ほど「これならエマも食べられる」というのが私が注文するお料理を決める基準だったから。習慣ってこわい。

夕食の後は、シュプレー川(Spree)沿いを通って、博物館島(Museumsinsel)を抜けて、ベルリン大聖堂(Berliner dom)までのんびりお散歩をしました。金曜日の夕暮れ時。気温はまだ高いけど心地よい風が吹いているというベルリンの夏の夜らしい陽気。芝生の上で寝そべっていたり、ビールを片手に話し込んでいたりと、たくさんの大人たちがのんびり過ごしていました。そんなまったりした空気の中にいながら、ふと、そうかこんな世界もあったんだなあと、思いました。mr. モッツアレラとの育児分担で日々自分時間はもってはいるけど、夜に出かけてみると、全くの別時間が待っていました。

子どもはあっという間に大きくなってしまうし、何と言ってもエマと一緒にいる時間は楽しいし、ひとりで出かけたいという願望も特にないけど、これからは月に一回は夜に出かけようかな。エマもmr. モッツアレラも、私抜きの二人時間を楽しんだようだし。

2016/07/29

そうか、それもありか。


駅のフェンスに貼られていた
カメの捜索願い

一昨日の夕方、ベルリンではすごい雨が降りました。地下鉄駅に雨水が流れ込んだり、車が浮かんでぶつかってしまったりとけっこうな被害だったようです。近くにゾンネンアレー(Sonnenallee)という大通りがあるのですが、そこでは泳いじゃった人もいるとか。ちなみにmr. モッツアレラと私は以前、ゾンネンアレーを歩いているときに豪雨にあい、どうせもうびしょぬれだからと、みんなが雨宿りしている中、水たまりの上を飛び跳ねたり、水を蹴って水しぶきをあげたりして童心に返りました。その後に、かつてゾンネンアレーあった台湾料理のインビスに入ると、店主夫妻がだまってタオルを数枚とメニューを差し出してくれました。

昨日の朝お散歩に出ると、うちの前の運河沿いの道はいたるところに水たまりがあって通るのを断念。目的地だったゲルリッツァーパーク(Görlitzerpark)の入り口にかかっている橋も水たまりだらけ。ベビーカーと一緒には渡れませんでした。この公園には入り口がたくさんあるので、問題なく公園には行けましたが。 

さてふと思ったのが、ベルリン市民って寛容だなということ。てーげーというか、程々というか。たとえば通れなかった橋は、雨がたくさん降ると必ず水たまりができます。それは私が初めてベルリンに来た2011年の夏も同じで、以来迂回したことは複数回。でも、じゃあここを舗装してとか、という発想にはならないみたい。

ベルリンにいると、適当だなあ、そうか、それもありか、と思わされることがたくさんあります。近所の道路工事現場にあった案内板によると工事期間は3月から5月になっているのに、やっと4月くらいにいろいろ始まり、9月まで工事していたり。ちなみに、案内板は工事が終わるまでそのままでした。そういえば、ベルリンの新しい空港は2011年の秋にオープンする予定だったのに、まだできてないなあ。8時から営業しているはずの近所のカフェに9時少し前に行ったらまだ閉まっていて、ちょうどカフェのスタッフが来たので開店時間をきいてみると、「8時に開けようとは思っているんだけど」と言われたり。橋の欄干を突然歩き始めるおじちゃんがいたり。平日の昼間から運河沿いの道をビール片手に歩きながら楽しそうにおしゃべりしている、働き盛り年齢がいっぱいいたり。救急隊や消防隊の職員たちが現場近くの路上でタバコ片手に楽しそうに歓談していたり。

「そうか、それもありか」に日々遭遇する暮らし。慣れてみるとなかなか気楽なものです。そして、私にとってそれはベルリン暮らしの魅力のひとつ。まあ、ベルリンとはいっても気楽じゃないエリアもあるはずだけど。

 最後に、同じ適当でもDHLの適当さと、犬の飼い主の糞の始末の適当さについては、そうか、それもありかとは思えませんが 笑。

2012/05/21

海はつなげる、海でつながる


葉山の砂浜で出会い、はるばるドイツまでもってきたビーチグラスたち。
それぞれ、もとはどこから来たのだろうか?

3月の末のこと。まだ20%くらしか理解できないドイツのニュース番組を見ていたら、昨年の東日本大震災で青森から津波によって流された船が、カナダ沖合で見つかったというニュースがありました。映し出されたのはカナダ北西海岸からアラスカにかけての地図で、そこには"Haida Gwaii"の表記。このニュースは3つの驚きを私にもたらしてくれました。

ひとつめはもちろん、1年という時間を経て船が見つかったということ。いったいどんな航海だったのでしょうか。

ふたつめは、地名が先住民族の言葉で表記されていたということ。Haida Gwaiiーハイダ・グワイとは、カナダ先住民族ハイダ族の言葉で、「人間の島」の意味。彼らが暮らしている島の名前です。たいていは英名で「クィーン・シャーロット・アイランズ」と呼ばれ、地図上にもその名前で表記されていることが多いかと思います。私は大学の頃から縁あってこの島を数回訪れ、合わせて8ヶ月ほど滞在したことがありますが、私がはじめてこの島を訪れた1997年には、すでにハイダ民族は自然保護、文化再生および創造、政治において非常に活発な活動を展開していました。島の名称を「クィーン・シャーロット・アイランズ」という英語表記から、彼らの言葉での表記に変えるように働きかけてきたのもその活動のひとつ。今回ドイツのニュース番組が地図にHaida Gwaiiと表記したのは、その長年の行動の成果のあらわれです。ちなみに後日、宮城県ナンバーのハーレーが同じくHaida Gwaiiで発見されたというニュースを、父が知らせてくれました。メディアによってHaida Gwaii、クィーン・シャーロット諸島、グラハム島(諸島のひとつ)といろいろだったようです。

3つめは海は世界をつなげている、そして私たちは海でつながっているのだということ。こう書くと当たり前のことですが、あらためて実感させられました。

2012/03/08

間もなく1年

一瞬だけ、選ばれた所に当たった夕焼け
台所の窓から

あれからもうすぐ1年か・・・
と思っていた矢先に父から短いメールが届きました。

いつものように特に前置きもなくはじまる父のメール。件名は「間もなく1年」。


東日本大震災の発生から間もなく1年。あの日に宮城県内で生まれた赤ちゃんは47人だったそうです。

地震、津波と余震。そんな状況での出産。
人間の力ってすごいな、とあらためて思いました。
その赤ちゃんたちも、間もなく1才です。

2012/02/19

つかみどころがないという魅力



12月にベルリンに戻ってくるとき、乾燥麹をもってきました。2月ももう後半。そろそろお味噌を仕込まないと。

ベルリンで最初の味噌づくり。麹はあるし、大豆も手に入る、しかし容器の問題がありました。日本で定番のあの茶色い瓶のようなものを探しましたが見つからず。いろいろ調べて、ベルリンで手に入るもので最適なのは琺瑯素材だということに。インターネットで見つけたLIVという琺瑯製品専門のお店に出かけてきました。びっくりするくらいかわいいお味噌入れを手に入れましたよ。微生物たちがせかせか(それともゆるゆる?)働いて完成させてくれる発酵食品はつかみどころがなくて、そこが魅力的です。ベルリンの気候では、どんなお味噌が完成するでしょうか。



ベルリンは12の区(Bezirk)に分けられていますが、琺瑯屋さんがあるのはパンコー区(Bezirk Pankow)の、プランツラウアー・ベルグというエリア。家からはバスと電車に乗って45分くらいの距離です。

大都市ベルリン。エリアによってさまざまな表情を見せてくれます。駅の外に出てまず気がついたのが、落書きがほとんどないこと。我が家の近所は芸術的なものから、あちゃーというものまで、多種多様な落書きがあります。カフェやお店の外観は町の雰囲気をつくりだしますが、駅の周辺にはDEAN & DELUCAのような清楚な感じの食材屋さんやカフェがありました。我が家の近所にあるカフェはもう少し庶民的というか、まったりしているというか。また、近所でも北側に行くと、そこはトルコをはじめとするアラビア文化圏からの移民がとても多いエリアで、彼らの服装、とびかう言語、お店の看板や外観などが独特の雰囲気をつくり出しています。

「ベルリンらしさって何?」と聞かれたら、その答えはいったいなんでしょうか。ベルリンは本当に大きな町で、私はそのほんの一部しか知りませんが、それでも歩けば歩くほど、知れば知るほど、その答えがわからなくなります。この町は、だからこそ魅力的なのかもしれません。

2012/01/23

旧暦新年の贈りもの





今日は旧暦の新年。朝起きてメールをチェックすると、姉からのメールがきていました。私宛てに届いていた年賀状の中に差出人が書かれていないものがあるけど、この文章で予想がつくかということで、下の一文を転送してくれました。


「15才で迎えた敗戦の夏の日、工場の周囲にひろがる一面の稲穂の実りに、わき上がる希望を感じた事を思い出します。」


緑に見える部分が「麦畑」
読んですぐに差出人が誰かがわかりました。そしてふと、昨年見たある光景を思い出しました。2011年6月末、岩手県陸前高田市を訪れたときのこと。200年以上にわたって味噌・醤油づくりをしてきた八木澤商店の八木澤さんが、地震の前にお店と工場があった場所へと案内してくれました。そこで見た麦畑です。


地震が発生したあのとき、ちょうど麦の納品作業が行われていたそうです。作業にあたっていた人たちはトラックを置いて高台へ非難。津波によって麦は押し流され、付近一帯に「蒔かれ」、やがて芽を出したというわけです。


津波の爪痕がまだまだ残る中に、青々とした麦。自然の再生力にすっかり感心させられたのを覚えています。


3.11以降、私たち一人ひとりが抱く「希望」はさまざまな要素によって打ち砕かれそうになり、一方で多くの人のおかげで支えられてきた気がします。たとえば原発に関しては、すでに起こってしまった事の大きさや、つい今日もあった政府による電力需要試算隠しなど、負の要素が山積しています。しかし同時に、子どもの笑顔や大切な人びとの存在など、私たちに希望を失わせないものもたくさんあります。そして自然の強さやしなやかさは無言でそれを支えてくれている。そう思わずにはいられません。


何年後かに振り返ってこう言いたいものです。2011〜2012年は日本の転換点だったね、と。日本から離れた場所から日本に対してできることは限られていますが、どこにいてもできることはあります。福島の事故は、原発事故はひとたび起こってしまえばそれは一国だけの問題ではない、ということを私たちに認識させました。


姉が転送してくれた大切な方からの言葉は、旧暦新年の贈りものとなりました。




2012/01/13

発想の転換

お気に入りの散歩道で久しぶりに見た夕焼け


私は電気がこうこうとついた空間より、少し暗めのほうが好きです。部屋の照明も控えめのほうが快適に感じるし、お風呂に入るときはあえて電気を消してキャンドルを灯すことも。3.11以降の、節電中の日本の駅やその他公共の場所の暗さが、むしろこれくらいがいい、とすら感じていました。でも、ベルリンに戻ってきて以来、あることに気がつきました。昼間に自然光、つまり太陽の光を感じられない日がこうも続くと、正直言って気が滅入る。


朝起きてまず思うこと。あ、今日も暗い・・・
お昼に空を見上げて。まだ、暗い・・・
夕方になり思うこと。あ、もうこんなに暗い・・・


私は日本でも日照時間の短い仙台市出身で、19才までの多くの時間をそこで過ごしました。でも日照時間が短いなんて後から知ったことで、住んでいた当時はそんなことは気にもしていませんでした。さらに秋から春まで雨が降り続ける(というとちょっと大げさですが)カナダ北西海岸に暮らしていたときだって、何の問題もなかったはず。ベルリンの冬はどこが違うというのでしょうか?とにかく、この土地において笑顔で春を迎えるには発想の転換が必要そうです。


そんなことをあれこれと考えている矢先に出会ったのが、ドイツの情報満載の「ニュースダイジェスト」というサイトに掲載されていた『正月なのに:暗いドイツから、暗い日本へ』というタイトルのエッセイ。


作曲家シューベルトの『冬の旅』の中の「三つの太陽」が「暗闇のほうが気分もいいだろう」で結ばれていることに言及し、筆者がはじめてドイツで冬を過ごしたときに気がついたことを紹介しています。それは、「ドイツの冬は本当に暗いから、暗さそのものを逆転の発想で快感の原理にしなければならないという倒錯が起こるのかもしれない」ということ。
***

昨日は友人と再会し、お昼ごはんに韓国料理をいただき、夕方は薄暗くて快適な(!)カフェでゆっくりおしゃべり。さてそろそろ帰ろうか、というときのことです。ふたりとも、だいぶ日が長くなってきたことに気がつきました。「もうこんなに暗い」ではなく、「4時半なのにまだこんなに明るい」。これもある意味、発想の転換です。冬至からもうすぐひと月。毎日確実に日は長くなっているはずです。


今日もやっぱり暗かったので、昼間から大好きな蜜蝋キャンドルに火を灯してみました。昼間のキャンドルもなかなかいいものです。まだまだ「倒錯」の域には達していないけど、残りの暗い日々を楽しみたいと思います。


ちなみに今読んでいる本は、『アラスカ物語』(新田次郎作)。2ヶ月間全く日が照らないという、かの地の暗さの描写がついつい気になってしまいます。